ヒュンダイ・ポニー 韓国初の国産車 Hyundai Pony
輸入車、他・・・アメリカ車ではありませんが、消え行く車ということで、取り上げます。
1985年、プラザ合意によって、日本は急激な円高に見舞われることになりました。それまで値段の割りに性能と信頼性が良いということで売れてきた日本車も、大幅な値上げをせざるを得ず、同時に、根本的に発想の転換が必要になりました。
そんな時、従来の日本車の価格帯で、カナダで爆発的に売れ始めたのが、ここで紹介するヒュンダイ・ポニーでした。
ヒュンダイが自動車産業に参入したのは1968年で、フォードのノックダウン生産から始まりましたが、自前のブランドでの車作りは、76年に発売されたポニーが最初で、同時に韓国初の国産車でもありました。
機械的には、70年台の三菱・ランサーをベースにしており、ボディーにはフォードの影響も垣間見ることができます。
カナダ人からすると、日本も韓国も同じ様なモノ、そして、ポニーにも当然の如く日本車と同等の品質を、無意識のウチに求めてしまったのでした。
結果は惨憺たるもので、故障に次ぐ故障、そして貧弱なサービス網、部品の流通の問題から、修理にも事欠く自体になってしまいました。
驚異的な低価格で起こした「ヒュンダイショック」でしたが、後に品質の悪さで、不本意ながら再び「ヒュンダイショック」を起こしてしまったのです。
結局売れたのは最初の2年ほどで、それ以降は、長い間、韓国車に対するネガティブなイメージに苦しむことになりました。
ポニーの生産立ち上げに立ち合った日本人の製鉄技術者の話では、プレス時に鋼鈑にヒビが入るという、信じられない現象は頻発したということでした。
私がバンクーバーに滞在していた96年当時、結構街中で見かけたものでしがた、流石に今回、2週間のバンクーバー滞在中、見掛けたのはコレ一台のみで、オーナーに頼んで写真に収めてきました。曰く、何度か韓国人が写真を撮って行ったということです。
10数年前ですら、韓国国内でポニーを見掛けることは皆無だったということで、当時、カナダを訪れた韓国人は、一様に街中を颯爽と?走り去るポニーの姿に驚いていました。
そして現在の韓国人の若者は・・・ポニーの姿さえも知らないということで、時の流れを感じずにはいられませんでした。
写真:ヒュンダイ・ポニー、2008年8月、バンクーバーにて撮影。今回の旅で見かけた唯一のポニーで、しかも市内で最も治安の悪い地域ででした。
因みに、このモデルは、衝突安全性の関係で、アメリカには輸出されていません。
コメント
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2013-04-21 16:42 k urushizawa URL 編集
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2013-04-21 16:51 消え行くアメリカ車たちを追って URL 編集