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Honda Accord wagon

日本車
10 /28 2008

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1980年代初頭、第二次オイルショックの煽りで、深刻な経営不振に陥ったアメリカ自動車産業は、矛先を日本に向けてきました。政府の力を借りて、「対米輸出自主規制」なるものを付き付けてきました。要するに規定以上の台数は輸出しない様に!という事です。

そこで、ホンダは1982年、他社に先駆けて、アメリカ・オハイオ工場にて、アコードの生産を開始しました。後にトヨタを始め、多くの日本企業がアメリカに工場を設立しましたが、大きな違いは、ホンダの場合、現地での部品調達率が非常に高いことでした。

他社が日本から鋼鈑等を輸入している中で、ホンダは質の悪いアメリカの鋼鈑を如何に上手く使うかを研究し、塗装や表面処理で、不均一な表面を見栄え良くしていました。
事実、当時のアメリカ車の外板を見ると、どれも面が均一で無く、ヨレヨレしています。それでもアメリカでは問題無かったのですが、日本のメーカーとしては、とても納得の行くものでは無かったのです。

日本でアメリカホンダの存在が知られる様になったのは、88年、アコードクーペが限定販売されてからでした。バブル景気の真っ只中、左ハンドルで、何処と無く異国情緒の漂うソレは、結構人気を呼んだものでした。

そして、その次のモデルでは、クーペの他に、ワゴンが「カタログモデル」として、アメリカから輸入、販売されました。写真は、その頃のワゴンです。
その頃になると、バブルは崩壊し、初代レガシーを始め、日本でワゴンの人気が出てきた頃で、270万円と、相当割高であったに関わらず、人気を呼び、セダンよりもワゴンの方が売れる様になりました。
当時、レガシーGTとほぼ同価格で、アチラは4WDにターボ付き・・・絶対にレガシーの方がお買い得と思ったものでしたが、発売から10年後に見たところ、レガシーがガタガタで高価な故障が頻発したのに対し、ハッキリと耐久性の差を見せ付けました。

ただ、北米では、当時でも余りこの手のワゴンを目にした記憶はありません。彼の地では、圧倒的にセダンかクーペであったと思います。
そして現在、北米では、ワゴンという形式が、ほぼ絶滅状態で、アメリカ製でスタートしたアコードワゴンも、現在は日本製になっています。

ワゴンは、車体の形状のせいで、どうしてもセダンに比べて、荷物室周辺からの軋み音が発生し易いのですが、この車は、ホンダ初のワゴンであったせいか、荷物室の内装が物凄く頑丈に作られており、パネルの着脱も難しく、整備士泣かせでもありました。そして、最初から上手く組み付けられていないものも少なからず存在し、その辺からも、同じ車種でも、当時のアメリカ製は、日本製よりも組み付け精度が劣るという印象を持たれていました。



写真:アコード・ワゴン(初代)、2008年8月、バンクーバーにて撮影。

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americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。