カイザー・ヘンリーJ

独立系メーカー
10 /23 2014
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アメリカ近代造船の父と呼ばれたヘンリー・J・カイザーが、戦後、遊休地と化していた設備を利用して、民間品の市場に参入するに当たり選んだのが、戦時中の供給不足の反動により、急激に需要が増した自動車でした。

当時、経営の再建に当たり、スポンサーを探していたグラハム・ペイジ社の社長、ジョセフ・W・フレーザーと、車のノウハウを持たないカイザーの利害の一致から、カイザー・フレーザーとして、共同作業が始まりました。

同社の自動車業界の参入は、戦後、既にビッグ3の独占が動かし難い事実となっていた時代で、最後発といえるものです。

そのカイザー・フレーザーが1950年に製造を始めたのが、このヘンリーJでした。

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この車が目指したのは、正にT型フォードの現代版(当時)で、ビッグ3が年々豪華に、巨大になっていくのとは正反対に、買い易い価格を第一にしたものでした。
その結果、初期のモデルは、トランクリッドすら無く、荷物はシートを倒して出し入れしていたといいます。

それでも同時代のシボレーとの価格差は小さく、安っぽいヘンリーJよりも、普通のシボレーの方が売れたのです。

この車のもう一つ大きな特徴は、あのシアーズからも販売されたことです。
シアーズといえば、かつて通販で有名であったアメリカのデパートですが、かつてはカメラや交換レンズの様なモノも、シアーズブランドで販売していました。

当然それ等は、OEM生産品なのですが、それを車でもやっていたのです!
しかし、今より遥かにメンテナンスに手間の掛かる当時の車をデパートで販売する…というのは、やはり無理があり、上手く行きませんでした。

結局シアーズは当然ですが、カイザー自身も、その販売は低迷を続け、53年を最後に乗用車からは撤退し、以降、買収したウィリス・オーバーランド社のジープの生産を主軸に置く様になりました。
あれだけ財力の有ったカイザーを持ってしても、ビッグ3にはまるで歯が立たなかったのです。

1970年には、AMCに買収され、そして87年には、AMCごとクライスラーに買収されています。

尚、ヘンリーJは、旧三菱系の東日本重工業の手によってノックダウン生産も行われていました。
同じ頃、同じく旧三菱系の中日本重工業によってジープの生産も始まっていますが、両者は後に三菱重工業として統合されています。

Comments

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No title

これはなんとなく、しか知りませんでしたが
「シアーズ」というエンブレムがついた車も売ってたということですか?

No title

しっぽださん

シアーズは オールステートというブランドで販売していたそうですが、上手く行かなかった様です。オールステートという名前は、シアーズの保険業務でも使われていました。

No title

俺のダチがキューバの青年の島でクラシックカータクシーに乗った時の車がなんと赤い(塗料は東ドイツ製?)オールステートの(ヘンリーJ)で三洋カセットAM/FMラジオと前のシートは大宇レンンザ(セダン)中古品でいすゞのトラックエンジンにフロアMTに改造されて錆びているのをピンクデニムホットパンツに黒い長そでyシャツにピンクのマーキュリー(車)野球帽で運転してる女の子のドライバーが運転してたそうすね。その子は親切だったのでダチの彼女が履いてたピンクミズノのジュニア用スニーカー(24cm)に赤いニットタイをプレゼント(すぐボロサンダルから履き替えた)をやるとデラ喜んでフェリーふ頭まで黒人の女の子はドライブしたらしいす。今、日本では日産より悪趣味のトヨタのJPNタクシー(フェンダーミラーはやめたほうがダサくなくていい)車が走ると日本の風景を破壊しまさに世紀末すね。

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キューバの修理技術はある意味すごいすね。話は変わりますがクラウンコンフォートやクラウンセダンを生産中止した今悪夢なデザインの次世代トヨタタクシー(シエンタベース)ははっきり言ってセダンやステーションワゴンのローレル(小型タクシー)&クラウン(中型タクシー)より乗りにくいと言う客の意見を無視してる感じがするすね。プリウスやアクアやリーフのタクシーやパトカーはある意味シートは運転手虐待だしショックアブソーバーはコロナやサニーやランサーセダンやワゴンよりボロイ〈アジアの悪路に不向き)しコンピューターが多く最悪のCVTがあるので貧弱で35万キロ走るとデラ故障しやすいすね。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。