バイク vs 車
Motorcycle車社会アメリカでは、1953年にインディアンが倒産して以来、ハーレーが唯一のバイクメーカーとして君臨しています。
ところが意外なことに、アメリカでも、かつて多数のバイクメーカーが競い合っていた時代があったのです。
かつて世界一のバイク産業を誇ったイギリスでも、現在操業中なのは、トライアンフ一社に過ぎません。しかも本来のトライアンフは、1983年に倒産しており、同じ会社ではありません。
日本では、奇跡的に4社もバイクメーカーが残っていますが、かつて存在したバイクメーカーの数は、200は下らないと言われています。そして、肝心の4社も、82年をピークに、右肩下がりに販売量を減らしており、現在はピーク時の1/6に過ぎません。
そして、長いこと世界一のバイクの生産量を誇ってきた日本も、気が付けば、お隣中国に、その座を明け渡していました。
この流れは、何を物語っているのでしょうか?
アメリカのバイク業界の淘汰は、1908年のT型フォードの発売と共に起こっています。一般人に手が届く価格帯の車が発売されることで、それまでの車の代用品としての需要が急激に減り、趣味性の高い一部の物が細々と残る以外に無くなってしまったのです。
イギリスのソレは60年代に起こりました。1958年にミニが発売された辺りから始まったと言えるでしょう。かつてはトライアンフ、BSA、アリエル、マチレス、ロイヤル・エンフィールド、ヴェロセット、ノートン・・・実に多くのブランドがひしめき合っていました。尤も、イギリスの場合、企業同士の合併の繰り返しで経営が混乱したという、別の要因もありましたが・・・。
日本では、1955年に第一回浅間火山レースが開催されたのをきっかけに、国内メーカー間での淘汰が始まったこと、58年に庶民の車としてスバル・360が発売、59年にホンダが日本のメーカーとして初の「マン島TTレース」出場・・・と言った辺りが境目と言えるでしょう。
以降、実用車としてのバイクの需要は下火となり、ホンダ、ヤマハ、スズキ等、海外のレースで鍛えられたメーカーの、より趣味性の高いスポーツバイクが主流となっていきました。
こう見てくると、バイクの隆盛は、その国の経済発展に伴って起き、庶民が車を持つことによって下火になるという法則が見て取れます。それを考えると、60年代前半、強引に車業界に参入したホンダの先見性には、改めて驚きます。
現在、中国では飛躍的に車の保有台数が増えているといいますが、それでも、とても一般庶民に手の出る価格とは言えません。かつて、自転車に乗っていた人々がバイクに乗り、そして、その人々が車に乗り換える時、現在世界最大の生産台数を誇る中国のバイク産業が下火になるのでしょう。
その時に、中国のバイク産業が、より趣味性の高い物を世間に問い掛けられるか否か?その答えは、当分先になりそうですが・・・。
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